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18世紀産業革命以降の工業や産業は、昨日まで誰も欲しいと思わなかったものをつくって、むりやり需要を喚起して購入させることによって成り立っている。
しかし生産して購入するまでの流れは確立されたがその先の事は現代においても放ったらかしになっている。
例えばタイヤ
日本で一年間に古タイヤが8900万本出る。
何十万本も山積みになった古タイヤがあちこちで自然発火して、有効利用される事なく放置されている。
こういう終始一貫しない、物があふれる奇妙な資本主義社会に比べると、便利さということを除けば、江戸時代はかなりバランスの良い社会構造だったと言える。
『便利』さと、『人間の一生涯』との間にうまく線を引いた社会構造であり、無理 無駄がなく  
『物の豊かさ』は貧しいが 生活の『豊かさ』は遥かに現在より優っていたのだろう。
一人の人間が一生涯を過ごす中で消費するエネルギー量も現代人は江戸時代の人に比べ100〜120倍のと言われている。
自然を破壊する社会から
自然と共生する社会へ
本日の『江戸農書とその時代』の講演は
神戸市 三ノ宮 中央文化センターで山中慶子様主催にて開催されました。
今回も自然農法や自然栽培を頑張っておられる
多くの方々と出会えました。
やっている場所は違っても、目指している所や農に向き合う姿勢はみんな同じだと改めて実感いたしました。
主催くださいました、山中様にも大変お世話になりました。感謝申し上げます。
これを機に今後とも 宜しくお願い申し上げます🙇‍♀️
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令和の現在日本全国の里山は
鳥獣被害がひどい
これは戦後の無計画な針葉樹の植林
里山の造成 そしてなにより日本人が
山や里に関心がうすれた事に帰依している。
江戸農書には森林資源に纏わる書籍も多い
岩手の『山林雑記』山口の『弍拾番山御書付』などがその代表。森林資源に係る方は垂涎の書となるであろう。
羽後の『羽陽秋北水土録』には
恭シク 以 レバ金玉ヲ以テ宝ト為シ、 水土ヲ以テ宝ト為ス。 水土ハ天地ノ恵徳ナリ。 是レ則チ人間活命ノ本ナリ。謂ク天ハ高ク地ハ低ク人ハ中ナリ。 天ハ充ルヲ欠ク地ハ変有リ、人情ハ天地二応ズルナリ。過不及ハ偏ナリ。天地人ハ一道二屋 ラズ、其ノ道二順ゼザル時ハ、則チ民其ノ政ヲ愛セズ。
とある。
現代語訳すると
つらつら考えてみれば、世間では金や玉を宝物とし、また、水土も大事な宝としている。
水土は天地の恵みである。これは人間が生きていく とき、大本ともなるものである。
天は高く、地は低く、人間はそのまん中にいる。天は満ちたり欠けたりすることがあり、地も年月を経れば変化する。人間の心は天地の変化に応じていくものである。
すぎたることや及ばざることは、片寄りから生じるものである。天も地も人も道がふさがれ、道に従えなくなったとき、人々はその政治を信じなくなる。
とある
岸田首相支 持率34.1%の民意をしっかり受け止め少しは古の学びをふりかえり誠政の摂理を学んでいただきたい。
本日の『江戸農書とその時代』の講演は
徳島県三好市の『美容室和咲美』様 主催の
開催となりました。
代表の上西雅人氏と奥様はは美容室でありながら身体によろしくない毛染めやパーマをしないという拘りがあり、素晴らしくカッコいい価値観をお持ちのご夫婦でした。
大変お世話になりました。
感謝申し上げます🙇‍♂️
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天保年間に書かれた
『備荒草木図』には飢饉を乗り切る
知恵がつまっている。
ぬなもみ はこべ ちがや あけび おにどころ
すみれ がま すべりひゆ ひるがお おみなえし
圃場はもちろん 散歩道 庭先 公園 校庭
日頃の暮らしの中で目にしている草たち
120種類以上を絵付きで説明し料理法も
書かれている。
コオロギを口にする前に
江戸時代の知恵で乗り越える。
子供達に残してあげる生きた財産
なのだろう。
9月最終週 広島で最後の
『江戸農書とその時代』講演
尾道でした。
主催は帰農学校 卒業生で
瀬戸内スロースタイル代表の杉原氏
瀬戸内の海が眼下に広がる古民家で
自然農法愛好家の皆さんと楽しい時間を
過ごせました。
2023.09.23 (Sat)  16:19

帰農学校vol.18

帰農学校vol.18
帰農学校vol.18
本日の授業は
『古式農術による秋野菜の栽培法』
農業全書をはじめ、会津農書 清良記 百姓伝記 江戸期の初めの頃に書かれた農書には、自然農法に通ずる農技や農術が多く描かれている。
今回はその中から 秋野菜の栽培法について解説させていただきました。
化成肥料や石油資材のなかった頃の農業を
現在の科学で分析すると 一つ一つの作業や
考え方が論理的で無駄が無い
自然農法や自然栽培は今に始まった農ではない 300年前の日本人が自然に敬意を払い 当たり前に日々やっていた事の再確認にすぎないのである。
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本日は埼玉県にて
江戸時代から明治にかけて来日した多くの欧米人たちは、一様に日本の都市や農村の美しさ、清潔さに眼を見張った。
当時の欧米都市が汚物と悪臭に満ち、常に伝染病の脅威にさらされていたからである。
明治のはじめに来日したアメリカの博物学者モースは、文明的だと信じていたアメリカの都市よりも東京の死亡率が格段に低いことに驚き、その原因をつきとめた。
日本の都市や農村が清潔なのは、欧米では捨て去られていたあらゆる廃棄物が「神秘的な方法」で処分、利用されているためで、とくに最大の廃棄物である人屎尿《じんしにょう》が貴重な肥料として農村に還元されているからである、と。
そして「すべての家の屑は奇麗にどこかへ持っていってしまうのでどこにも見えぬ」といい、「畑に肥料を運ぶ木製のバケツは真白でわが国の牛乳カンみたいに清潔だ」と述べている。
農村から都市へ、食料として搬出されていた土の養分は、さまざまな形で都市から農村に戻され農業生産力を支えていた。
一七世紀末の農書『百姓伝記』は、「繁昌の地近き所の不浄を取て、田畑を作り、万作毛を耕作する村里は、五穀、前栽、思うままに作り得る」と、都市廃棄物の得やすい農村の利点を強調している。都市の繁栄は農村の発展に結びつき、それがまた都市の生活を充実させた。
本日は埼玉県さいたま市見沼区
特定非営利活動法人見沼の里様主催により
『江戸農書とその時代』の講演を行いました。
お世話をいただきました三宅様
有難うございました。
関東の自然農法家 米農家さん多くの方に
お会い出来て刺激的な1日でした。
皆さん有難うございました。
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